私が治験を受けた理由










2年前、私は初めて治験を受けた。


治験なんて言ったら聞こえがいいけれど、私が受けた新薬の使用も、脳の手術もほぼ被験者に近いもので、実験台である。






何故私が治験を受けようと思ったのかは、当時卒業研究の題材を調べていた時だった。



大学3年生になり、ゼミが決まり、いざ何をやろうかと考えていた時、私は自分の病気に関わる何かを残したいと思った。



爪痕を残すなんてそんな大それた大学生活ではなかったけれど、何かをもって、私の病気を知って欲しかったし、論文として記録にしたかった。




だから、私は治験を受けた。



必要な情報収集をするために論文を利用して、全国の自分と同じ病気を患う方々に会いに行き話を聞いた。






世間にはたくさん病気があって、医師ですら認知のない病だって沢山沢山あって、認知がないこと、症例が少ないことで研究が進まない病が無数にある。 






苦しいのが自分だけだと思いたくなかったし、悲しいのが私の生きる世界だけだと認めたくなかったがゆえの行動だったのかもしれないし、


そうではなく、自分より症状が悪化してしまっていた方々をみて、未来を見据えて終活でもしようと思っていたのかもしれない。







忘れてしまった。









でも、今記憶を操作できるのであれば、自分のため、そして同じ病気で苦しむ方々のために、この病気の認知を上げて、いつか助かる薬や治療が見つかればいいと思いたい。







医師に正しい知識がなかったゆえに亡くなった命も、誰にも助けてもらえずにただただ無念に亡くなっていった命もきっとあるだろう。




私は頭が悪いから、法律とか条例とかそういうことはよく分からない。でも、この病気の認知度が上がれば、きっときっといつか治る日が来るだろうと信じている。








治験を受けて、苦しいことも辛いことも、副作用に何度も何度も死にたいと喚いたこともあった。




もうこんな思いをするなら死んだ方がマシだと思った日々もあった。













でも、現に今私は生きている。

明日も、きっと生きるだろう。







私が発症してもう5年以上がゆうに経つ。







症状が出てからの5年生存率は1.8%











十分に治験で苦しんだ分は生きただろう。













治験を受けることに対しては賛否両論なのかもしれないけれど、何もせずに死ぬ命がここにあるのであれば、私は賭けてでも生きながらえたいと思った。





そして、それが誰かの希望になればいいと思った。











被験者Noは私の生きた記録であり、これからもずっとずっと、誰かの手元に数字として、記録として、記憶として、残るであろう。





烏滸がましい願いなのかもしれないが、みんなと同じように生きる20代前半のただの会社員が、明日も生きるためにアクションを起こしたことが誰かの目にとまればいいなと思う。













明日も生きて、生きて、生きよう。